精神医学 看護科 講義用ノート

A 神経発達症群

情報を受け取り、整理し、切り替え、組み合わせたりすることに発達上の特徴がみられる

読むこと・書くことなど特定の学習に困難があれば限局性学習症、身体の動きを協調させることが難しければ発達性協調運動症などが考えられる。


知的発達症

知的機能だけでなく、適応機能も含めて評価する。

IQだけでその人の能力や生活能力を決めることはできない。医学的診断と、療育手帳の区分など行政上の基準とは、分けて理解する。

同じIQでも、言語能力、記憶、社会性、生活能力などに大きなばらつきがあり得る。看護では、何ができないかだけでなく、何ができるかを見る。


自閉スペクトラム症(ASD)

社会的コミュニケーション・対人的相互反応の障害
限定された興味・反復的な行動や感覚の特徴
からなる。

ASDでは、周囲の多くの情報の中から重要な情報を選び、切り替えて処理することに困難がある場合があると考えると理解しやすい。

音、光、温度、におい、触感などに過敏または鈍感になることがある。また、特定のものへの強い興味や、同じ行動を繰り返すこと、予定や手順の変更を嫌うことがある。

 社会的コミュニケーション・対人関係

  • 興味や感情を共有することが難しい

  • 会話のやり取りが苦手

  • 表情、視線、身振りなどの理解・使用が難しい

  • 年齢や状況に応じた人間関係をつくることが難しい

共同注意とは、同じ対象に一緒に注意を向けること。社会的コミュニケーションの重要な基盤になる。

 限定された興味・反復的行動

  • 同じ行動や言葉を繰り返す

  • 日常の手順やルールの変更が苦手

  • 特定の興味に強く没頭する

  • 感覚刺激への過敏・鈍麻がある

成長によって情報処理や対人スキルが発達し、対処方法を身につけることで適応が改善することはある。ただし、ASDそのものが「10歳を過ぎれば治る」というものではなく、年齢とともに環境の要求が変わることで、別の困難が目立つこともある。

ASDへの対応

情報量を減らし、具体的に、短く伝える。

一度に多くの指示を出さず、「今何をすればよいか」を明確にする。予定や手順を視覚的に示すなど、構造化も有効。

感覚過敏があれば、音・光・人混みなどを調整する。突然身体に触れたり、大声で叱ったりしない。

ASDだから感情が乏しいわけではない。認知の修正を急ぐより、まず安心できる関係をつくり、気持ちを共有することが大切。

本人独自のこだわりを頭から否定せず、必要な社会的ルールは具体的に説明する。「正しい答え」を押しつけるより、本人が困ったときに相談できることを目指す。

ASDでは、不安、抑うつ、強迫症、摂食症などが併存することがある。また、いじめ、対人関係の失敗、虐待などによって二次的な精神症状が生じることにも注意する。


注意欠如・多動症(ADHD)

不注意・多動性・衝動性を特徴とする。

「理性がなく感情で動く」というより、注意の配分、行動の調整、衝動の抑制などに困難があると考える。

年齢とともに多動性・衝動性が目立たなくなる人もいるが、不注意などが成人期まで続くこともある。

 不注意

  • ケアレスミスが多い

  • 注意を持続しにくい

  • 話を聞いていないように見える

  • 指示に従い、課題を最後までやり遂げることが難しい

  • 整理整頓や時間管理が苦手

  • 持続的な努力を要する課題を避ける

  • 忘れ物・なくし物が多い

  • 外部刺激で気が散る

  • 日常の予定や用事を忘れる

 多動性・衝動性

  • 手足をそわそわ動かす

  • 席を離れる

  • 走り回るなど、場にそぐわない行動をする

  • 静かに遊ぶことが難しい

  • じっとしていることが難しい

  • しゃべりすぎる

  • 質問が終わる前に答える

  • 順番を待つことが苦手

  • 人の話を遮る、割り込む

ADHDへの対応

叱責を繰り返すより、できたことを具体的にほめる

周囲の刺激を減らし、指示を短く具体的にする。座席を工夫する、やることを一つずつ示す、生活の枠組みを明確にするなど、環境を整える。

感情が高ぶったときは感情的に叱らず、安全を確保して刺激の少ない場所で落ち着くのを待つ。落ち着いた後で、「次はどうすればよかったか」を一緒に考える。

ASDとADHDは併存することがある。


B 統合失調症スペクトラム

統合失調症では、考え、感情、知覚、行動などのまとまりが乱れ、現実との関係を保つことが難しくなることがある。

主な症状は、妄想、幻覚、思考のまとまりの障害、自我意識の障害、陰性症状など。

自我意識の障害では、自分の考えや感覚が自分のものではないように感じるなどの体験がみられることがある。

急性期

本人の幻聴や妄想を頭から否定しない。

「私たちには聞こえませんが、あなたにはそう聞こえるのですね」

というように、体験による苦痛を受け止める

ただし、幻聴や妄想の内容を事実として肯定するのではなく、本人が感じている不安や恐怖に寄り添う

命令性幻聴や自傷他害の危険性を確認する。

回復期以降

薬物療法に加え、疾患教育、再発予防、SSTなどを行う。

「人から悪く思われている」と考えやすい、嫌なことをうまく断れないなど、対人関係で生じやすい困難を整理し、対処法を増やしていく。

抗精神病薬では、錐体外路症状、悪性症候群、体重増加・糖脂質代謝異常などに注意する。


C 双極症および関連障害群

躁状態(または軽躁状態)とうつ状態のエピソードを繰り返すことがある。

躁=エネルギーを使いすぎる
うつ=エネルギーが出にくい

という比喩で考えると理解しやすい。

ただし、躁状態では単に元気になるのではなく、気分や活動性が過度に高まり、判断や行動のコントロールが難しくなることがある。

躁状態

睡眠欲求の低下、多弁、観念奔逸、活動性亢進、誇大感、注意散漫、浪費など。

誇大妄想や強い易怒性を伴い、無謀な行動によって本人や周囲に危険が及ぶこともある。

うつ状態

抑うつ気分、興味・喜びの低下、疲れやすさ、思考・行動の遅延、自責感、罪悪感、自殺念慮など。


D 抑うつ障害群

抑うつ気分だけでなく、興味・喜びの低下、睡眠・食欲の変化、疲労、集中困難、自責感、希死念慮などがみられる。

重症度を評価し、特に自殺リスクを確認する

「頑張ればよい」と励ますのではなく、安全を確保し、休養と治療につなげる。

疾患教育によって、「怠け」や「本人の意志の弱さ」だけでは説明できない状態であり、治療や支援の対象となることを理解してもらう。

症状には波がある。状態が不安定な時期には、重大な決定を一人で急いで行わず、周囲や医療者と相談しながら進められるよう支援する。


精神症状を理解する

知覚の障害

幻聴は統合失調症で多いが、気分障害、PTSD、物質関連障害、てんかんなど多様な精神疾患で起こり得る。

幻聴の内容に従って行動することがあるため、命令性幻聴と安全性の評価が重要。

幻視は、せん妄、薬物・アルコール、認知症なども疑う。アルコール離脱せん妄では小動物、虫などの幻視を認めることがある。Lewy小体型認知症では、人や動物など具体的で鮮明なものが多い。


思考内容の異常

妄想とは、根拠によって訂正されにくい確信。

統合失調症に多い被害妄想(誰かに監視されている。狙われている。追われているなど)

躁状態では誇大妄想(自分には特別な能力や使命がある、著名人と特別な関係があるなど)がみられることがある。

うつ病に多い微小妄想(貧困妄想、心気妄想、罪業妄想)


思考過程の異常

思考のまとまりの障害:話の関連性が大きく崩れ、聞き手にとって理解が難しくなる。統合失調症などでみられ、滅裂思考とも呼ばれる。

観念奔逸:考えが次々に浮かび、話題が移っていく。躁状態でみられる。

思考制止:考えが進みにくく、思考が遅くなる。うつ状態でみられる。


意欲・行動の異常

昏迷は、意識が比較的保たれているにもかかわらず、随意運動や発語などの行動が著しく減少または消失した状態。昏睡(Coma)と違って、通常は覚醒している。

緊張病(カタトニア)は、精神運動の異常を示す症候群。興奮、昏迷、無動、無言、不自然な姿勢の保持、拒絶症など、さまざまな症状を示す。統合失調症だけでなく、うつ病や双極症、神経発達症、身体疾患・薬物などでも起こる。


自我意識の障害

自分の考えや行動を「自分が行っている」という感覚が損なわれる(させられ体験)。統合失調症でみられる代表的な自我意識の障害

  • 思考吹入:外から考えを吹き込まれたと感じる

  • 思考伝播:自分の考えが周囲に伝わっていると感じる

  • 思考奪取:考えを抜き取られたと感じる


E 不安症群

不安は正常な反応だが、過度で持続し、生活に支障をきたす場合に病的となる。

パニック症

予期しないパニック発作を繰り返し、その後も発作への強い不安や、発作を避ける行動などがみられる。

パニック発作では、突然の強い不安とともに、動悸、息苦しさ、胸部不快感、めまい、発汗などがみられる。

胸痛・呼吸困難などを「パニック発作」と決めつけず、身体疾患を鑑別する。

社交不安症

人から評価される場面や、人前で行動することへの強い恐怖・不安がみられる。

全般不安症

さまざまな出来事について、過度の心配が長期間続く。

心配をコントロールすることが難しく、筋緊張、疲労、集中困難、睡眠障害などを伴う。


F 強迫症および関連症群

強迫観念:望まない考えやイメージが繰り返し浮かぶ。

強迫行為:強迫観念による不安や苦痛を和らげたり、恐れている出来事を防いだりするために、同じ行為を繰り返す。

「汚れている気がする」→「何度も手を洗う」など。

本人も「やりすぎだ」と分かっていても、やめようとすると強い不安や苦痛が生じ、やめることが難しい。

ASDのこだわりや反復行動などとは、その行為が本人にとってどのような意味を持っているのか、不安や恐怖とどのように結びついているのかという症状の質をみて区別する。


G 心的外傷およびストレス因関連障害群

PTSD

主な症状は、

  • 侵入症状:フラッシュバック、悪夢など

  • 回避:トラウマを想起させる人・場所・状況・記憶などを避ける

  • 認知・気分の陰性変化

  • 過覚醒・反応性の変化:不眠、苛々、易刺激性、驚愕反応など

複雑性PTSD

長期・反復的なトラウマなどに関連し、PTSD症状に加えて、

  1. 感情調節の困難

  2. 否定的な自己概念

  3. 対人関係の困難

という自己組織化の障害(DSO)を伴う。なお、複雑性PTSDはDSM-5-TRの独立した診断名ではなく、ICD-11で診断カテゴリーとして位置づけられている。

反応性アタッチメント(愛着)症・脱抑制型対人交流症

社会的ネグレクトなど、適切な養育が著しく欠如した環境によって、幼少期の愛着形成に重大な困難が生じる。

反応性アタッチメント症では、他者への接近や情緒的交流が抑制され、苦痛を感じても養育者に適切に助けを求めにくい。

脱抑制型対人交流症では、見知らぬ大人にも過度に親しく接するなど、見境のない対人交流がみられる。

反応性アタッチメント症ではASDなど、脱抑制型対人交流症ではADHDなどと症状が似て見えることがある。愛着関連障害では、症状だけでなく、幼少期の養育環境や対人関係の経過を含めて評価することが重要

トラウマを経験した子ども=PTSDや愛着障害、ではない。トラウマ歴は診断名ではなく、子どもの状態を理解するための重要な情報である。


H 解離症群

自分自身として一貫した存在であり、他者や世界とは隔たりがある(境界)。自分で感じ、考え、行動し、過去・現在・未来へと連続した存在である(自己同一性)。

解離とは、意識、記憶、知覚、自己感覚など、本来まとまりをもっている精神機能の統合が変化すること。

  • 離人感・現実感の消失

  • 解離性健忘(記憶が欠落し、自己の経験の連続性が損なわれる)

  • 解離性同一症(複数の人格が現れ、それぞれに記憶や自己感覚などの違いがみられる)

「苦痛を感じないために心を切り離す」という説明は理解の助けになるが、解離をそれだけで定義しない。



I 身体症状症および関連症群

身体症状症

身体症状が実際に存在し、その症状に関連した過度な思考・感情・行動(不安やとらわれ)によって、生活に支障が生じる。

症状は本物だが、その症状への反応が過剰になっていると考えると理解しやすい。症状そのものの実在性と、症状に対する過度な認知・感情・行動を分けて考える。

病気不安症

身体症状がほとんどない、または軽微であっても、重大な病気にかかっている、またはかかるのではないかという強い不安にとらわれる。

機能性神経症状症

脱力、麻痺、運動異常、知覚の障害、失語など、神経疾患を思わせる症状がみられる。

症状は本人にとって現実のものであり、神経疾患だけでは十分に説明できない症状のパターンがみられる。解離が関与することもある。

「症状があるから心配」だけでなく、

身体症状症:身体症状へのとらわれ

病気不安症:病気であることへのとらわれ

機能性神経症状症:神経症状として体に現れる

と整理すると分かりやすい。

身体症状を「気のせい」と否定せず、身体疾患を確認しながら、心理面も支援する。


J 食行動障害および摂食障害群

神経性やせ症

  • 低体重

  • 体重増加への強い恐怖

  • 自分の体重・体型に対する認識の障害

低栄養によって、徐脈、低血圧、低体温などが生じる。重症例では電解質異常や心機能障害など、生命に関わる身体合併症にも注意する。

神経性過食症

自分では制御できない感覚を伴う過食を繰り返し、それを補うために自己誘発性嘔吐、下剤の乱用、過度の運動などの代償行動を行う。

嘔吐や下剤乱用では、低カリウム血症などの電解質異常や不整脈に注意する。

摂食障害では家族関係や虐待などが背景となることもあるが、すべての患者に当てはまるわけではない。単一の原因で説明せず、生物学的・心理的・社会的要因が複合して発症すると考える。家族を原因として責めるのではなく、治療の協力者として位置づけるためにも重要な態度である。

治療では、太ることへの恐怖や不安を頭から否定せず、身体的安全を確保しながら、温かく一貫した態度で関わる。


K 睡眠覚醒障害群

睡眠の問題は精神疾患だけでなく、身体疾患、薬剤、生活リズムなどでも生じる。

不眠症では、眠れないことだけでなく、日中の機能低下を評価する。

看護では、睡眠時間だけにこだわらず、生活リズム、昼寝、カフェイン、飲酒、服薬などを確認する。前立腺肥大などでトイレのために起きることも。


L 物質関連障害および嗜癖性障害群

依存症を「意志が弱い」と考えない。

物質だけでなく、ギャンブルなどの行動にも嗜癖が生じる。

講義上は、

  • アッパー系:脳の働きを高める 覚せい剤、コカイン /  ニコチン、カフェイン

  • ダウナー系:脳の働きを抑制する  モルヒネ、ヘロイン  /   アルコール、睡眠薬

  • サイケ系:幻覚・知覚変容を起こす薬物としてLSDなどがある。大麻やMDMAは作用が複雑で、単純に同じ分類には入れにくい。

と整理すると分かりやすい。

アッパー系では、使用を中断すると、強い疲労、眠気、抑うつ、不安、焦燥などがみられることがある。薬物によっては、使用中に被害妄想や幻覚などの精神症状を生じることもある。

ダウナー系では、使用を中断すると、これまで抑えられていた神経活動が過剰になり、振戦、発汗、不安、けいれん、せん妄などの離脱症状が起こり得る。

特にアルコール離脱による振戦せん妄は重要。
大酒のみが骨折などで入院し、突然飲酒が中断されたら?


依存症では、物質使用そのものだけでなく、虐待などのトラウマ、家族関係、孤立などの背景も考える。

断酒会、AA、ダルク、専門デイケアなどの自助・社会資源につなげる。


M 神経認知障害群

せん妄

急性に発症し、注意・意識の障害が生じ、症状が変動する。

見当識障害、幻視、不穏などを伴うことがある。

「たちの悪い寝ぼけ」のように見えることもある。

感染、脱水、薬剤、手術などがきっかけとなる。

急に意識・注意が変化した場合は、せん妄を重要な鑑別として考える。

原因の検索と治療、環境調整、睡眠の確保、不要な薬剤の見直しなどが重要。

認知症

代表的なもの:

  • Alzheimer型認知症

  • 血管性認知症

  • Lewy小体型認知症

  • 前頭側頭型認知症

Lewy小体型認知症では、幻視、認知機能の変動、パーキンソニズムが重要。

前頭側頭型認知症では、人格・行動の変化や社会的行動の変化が目立つことがある。

認知症は、認知機能が慢性的に低下し、日常生活に支障をきたす状態。せん妄は急性発症・変動性という時間経過の違いが重要。

高齢者のうつ病では、認知機能低下が前面に出て認知症のように見えることがある。質問に対して、うつ病では「分かりません」と答えやすいが、認知症患者に作話がみられることもある。こうした印象だけでなく、経過や認知機能検査、生活機能などを総合して判断する。

看護では、できなくなったことだけでなく、残っている能力を生かす。


N パーソナリティ障害群

パーソナリティ障害は、考え方、感情、対人関係、衝動性などの特徴が、長期間にわたってさまざまな場面で認められ、本人や周囲の生活に大きな支障を生じる。

青年期または成人期早期からみられることが多い。児童・思春期では、発達途上にあることを考慮し、安易にパーソナリティ障害と診断しない。素行症や反抗挑発症など、発達段階に応じた診断も考慮する。

「性格が悪い」という意味ではない。

看護では、ラベルで患者を決めつけず、どのような対人パターンが起こっているのかを見る。

感情的に巻き込まれすぎず、境界を保ちながら、温かく一貫した対応を行うことが重要。


O てんかん

てんかん発作を繰り返すことを特徴とする神経疾患

発作には、意識が保たれるもの、意識が障害されるもの、全身のけいれんを伴うものなどがある。けいれんだけが発作ではなく、ぼーっとする、反応がなくなる、突然の異常行動や感覚の変化などとして現れることもある。

児童思春期では、発達特性や精神症状と区別しにくいことがある。解離症状のように見える発作もあるが、症状だけで決めつけず、必要に応じて脳波などの神経学的評価を行う。

発作の様子を記録した動画や、発作前後の状況・意識状態などの情報も診断の手がかりになる。




統合失調症を「症状の意味」から考える

 統合失調症では、幻聴や妄想といった精神症状が現れることがあります。誰もいないのに聞こえてくる声や、実際には起こっていないことを起こっていると確信することです。

 周囲の人には理解できないし、おかしなことを言っているようにしか思えません。しかし、その幻聴や妄想は「事実」ではなくとも、本人にとっては唯一の「真実」です。世界そのものが変わってしまったように感じられ、強い不安や恐怖が伴っています。


 以下はいくつかの実例を組み合わせ、本質に関係しない情報を変更した架空症例です。


 統合失調症の母親に育てられた、ある女性は、幼い頃から理由の分からない不安に悩まされ、中学生の時、過呼吸で救急搬送されたこともありました。

 20代で結婚し、一子もうけましたが、職場の人間関係で悩んだ際に、「誰かに狙われている」という妄想出てきて、夫と口論するようになりました。「左が正しい」「いや右が正しい」というような幻聴も聞こえ、思考がまとまらなくなっていきます。しだいに眠れなくなり、食事も取れなくなりました。疲労の蓄積にともなってか、身体が痛み、ついには死んでしまうのではないかという不安が内に生じ。ある夜、家を飛び出します。保護され、入院した後も、外部からのささいな刺激に過敏になり、病室のクーラーの作動音すら、脅威に感じ、消してほしいと訴えました。


 このような場合、まず必要なのは身体診察です。体の痛み、食事ができないことを「精神病のせい」と決めつけてはいけません。身体の病気が本当にないかを調べたうえで、精神科の治療につなげます。

 安全な環境を確保し、休息を促しながら、必要に応じて抗精神病薬などを使って、幻聴や妄想を和らげていきます。

 しかし、薬によって精神症状が弱まってくると、それによって隠されていた現実的な問題が頭をもたげてきます。ここで精神療法的な関わりが役に立つことがあります。

 たとえば、「狙われている」という訴えに対して、「あなたの妄想です」と否定するのではなく、「狙われていると感じるほど、怖く感じられるのですね」と、その恐怖を理解しようとする。これは妄想の内容を認めることではありません。妄想の内容と、そこに伴っている感情を分けて考えるということです。

 「狙われている」という考えは現実とは異なるかもしれない。しかし、「狙われているような恐怖を感じている」という体験は本人にとって真実です。その体験を理解することから、治療的な対話が始まります。


 さらに、この女性が家を飛び出したことについても、「病気のために奇妙な行動をした」とは考えません。「家にいることが耐えられないほど怖かったのかもしれない。だから、その場所から離れることで自分を守ろうとしたのかもしれない」。食事を拒むのも、「食べること自体が危険に感じられていたのかもしれない。だから食べないことで、自分を守ろうとしたのかもしれない」と考えることができます。

 これは、拒食や徘徊をしなさいと奨励しているわけではありません。一見すると病的に見える行動の中にも、その人なりに自分を守ろうとする働きが存在することがあります。生きるための対処行動として捉えるということです。

 そう考えると、治療の目標が定まります。「あなたには妄想があります」と突きつけたり、「食べないと死にますよ」と命令するのではなく、「今まであなたを守ってきた方法よりも、もっと安全な方法を一緒に探しましょう」という関わりになります。


 この女性の場合、点滴を拒否したときにも、できる範囲で本人に選択してもらい、栄養剤やゼリー、フルーツ等から選んで、少しずつ栄養を取ってもらいます。

 自分で選んで食べることは、単にカロリーを補給するだけではありません。「自分の身体について、自分で決めることができる」という主体性の感覚を取り戻すことでもあります。

 抗精神病薬を飲み始めてしばらくすると、クーラーの作動音も脅威となるような圧倒的な恐怖や過敏性が薄らぎ、やや幻聴や妄想も和らいできたのか、少しずつ視線が合い、わずかに会話できるようになりました。そこで初めて、「家を飛び出したとき、どんな気持ちだったのですか」と尋ねることができます。

 すると、「食べないほうがいいという声が聞こえて、食べられなくなった」「このまま家にいると襲われるような気がした」等と語るようになりました。

 ここには重要な変化があります。発症当時には、世界そのものが圧倒的に怖く、本人も何が起こっているのか整理できませんでした。しかし、症状が少し落ち着くと、「あのとき自分は何を感じていたのか」を言葉にできるようになったのです。妄想の嵐が過ぎ去ってからでないと、妄想の内容を語ることはできないのです。語れなかった時期は妄想と自分が一体化していたとさえ言えるかもしれません。

 この段階になって初めて、家族関係や過去の経験について考えることができるようになります。


 ところで、この女性の母親も統合失調症を患っていました。彼女は幼い頃、母親から安定して世話をしてもらう経験が十分ではなかった可能性があります。ただし、統合失調症を母親との関係だけが原因と一元的に説明することはできません。統合失調症には、遺伝、ストレス、環境など、さまざまな要因が関係します。それでもやはり、母親との関係を振り返ることにも意味があります。

 たとえば、この女性自身が母親として子どもを育ててきた経験を尋ねる。「離乳食を食べるようになったとき、どんな気持ちでしたか」と聞いてみる。「食べたね。偉いね」そう言って子どもと笑い合い、喜びを分かち合ったことでしょう。そこには、「子どもを世話する自分」と「母親に世話をしてほしかった自分」がいます。子どもに食べさせることを思い出しながら、自分自身も安心して食べる。その二つの体験を重ねることは、失われていた「世話をされる感覚」を取り戻すきっかけになることがあります。

 大切なのは、順番です。まず身体を調べる。次に安全を確保する。薬によって症状を和らげ、眠ること、食べることを取り戻す。そして、ようやく対話が可能になったところで、その人が経験してきたことを一緒に考えていく。まず母親、父親との関係、それから友人、次に恋人、配偶者との関係、それらを経て、自分と子どもとの関係……。

 症状を消してから、その人を見るのではありません。症状を治療しながら、その症状の中にいるその人を見るのです統合失調症を治療するのではなく、統合失調症を発症したその人個人を、その人生ごと受け止めるのです。

 幻聴や妄想は、本人にとって非常につらいものです。そのつらさに共感する必要があります。しかし妄想の内容を現実として認めたりする必要はありません

 その症状によって、何を恐れていたのか。何から自分を守ろうとしていたのか。何を失い、何を求めていたのか……。

 そうした問いを、本人と一緒に、持ち続けながら治療することで、幻覚や妄想を、悪い症状として扱うのではなく、生きるための対処行動として捉えて、そこから本人がより安全に生きていくための道を探していきます。



拒食への介入は、何から始めるのか

 拒食への対応では、最初から「普通の食事を食べてもらう」ことを目標にしません。急性期には、まず命を守ることが最優先になります。


 第一段階は、身体状態の評価です。低血糖、脱水、電解質異常、腎機能障害等、身体疾患がないかを確認し、必要であれば点滴等で、最低限の栄養と水分を確保します。精神状態が不安定で暴れてしまう等の理由で抵抗して検査できないのであれば速やかに拘束してでも、最低限の検査をおこないます。


 第二段階では、「何を食べるか」よりも「自分で選べるか」を大切にします。

 たとえば、点滴を強く拒否している患者さんに、医療者が「この治療を受ける必要があります」と一方的に治療を進めると、本人にとっては「自分の身体を他人に支配される」という体験になってしまうことがあります。

 そこで、「点滴は嫌なのですね。では、今なら何なら少し受け入れられそうですか」「栄養剤なら少し飲めそうですか」というように、可能な範囲で選択肢を示します。最低限の栄養剤しか受け入れられないとしても、そこから始めることには意味があります。

 「食べさせられた」のではなく、「自分でこれを選んで口にした」という経験そのものが、失われていた自己決定感を取り戻すことにつながるからです。


 第三段階では、食べられない不安を一緒に言葉にしていきます。

 「食べることが怖いのですね」「何か悪いことが起こりそうだったのですね」「食べないことで、自分を守っていたのかもしれませんね」と尋ねます。あるいは治療者が心の中で思っているだけでも伝わります。あえて口にしないほうがよい場合もあります。

 この態度は、「食べないほうがいい」と認めるわけではありません。拒食という行動を、本人が生き延びるために取っていた可能性のある対処として理解し、その代わりになる、より安全な方法を一緒に探していくのです。


第四段階では、妄想によって狭くなっている世界を少しずつ広げます。

 食事も、家にいることさえ不安だったのかもしれません。そこで、「とても怖い思いをしていたのですね」とまず体験を受け止めたうえで、たとえば、「結婚当初、ご主人のどんなところが安心できましたか」、「お子さんも大きくなりましたね」等と尋ねる。

 これは「不安になるな」と説得することとは違います。妄想を否定するのではなく、恐怖とともに固定されていた世界の捉え方に、安全な可能性、別の視点を提示していくのです。


第五段階では、実際の食事場面そのものを精神療法の場にします。

 最初は栄養剤しか摂れなくても、それを足がかりにして、本人が比較的安心できる食品を一緒に探します。

 「これは食べられそうですか」「今日はどちらにしますか」「一口だけなら?」というように、できるだけ選択権を本人に返します。そして食事を介助しながら、前述のように、本人が持っている安心できる記憶や関係に触れていきます。

 たとえば、「お子さんが離乳食を食べ始めたころのことを覚えていますか」「初めて食べてくれたとき、どんな気持ちでしたか」「そのとき、お子さんに何と言ってあげましたか」といった話をします。 「食べたね。偉いね」という言葉が出てきたなら、その言葉をそのまま本人に向けることができます。

 「今日は少し食べられましたね」「食べられたことは大きいですね」。ここには、母親として子どもを食べさせてきた経験と、自分自身が安心して食べさせてもらう経験を重ねるという意味があります。

 ただし、これは急性期に母子関係を分析するということではありません。まず安心して食べられる関係をつくる。その上で、本人の中にある「安心できる力」「子どもを育ててきた経験」「誰かを大切にした経験」をリソースとして活用する。

 その結果として、過去の母子関係や自分が子どもだったころの体験が自然に語られたら、そのとき初めて、それを治療的に扱っていきます。あくまで本人の主体性を尊重するのです。私たちは治療を押し付けず、時期を待たねばばりません。


したがって、拒食への介入は、

①身体状態を評価し、生命を守る

②点滴等の手段で、最低限の水分・栄養を確保する

③本人が受け入れられるものを選択してもらい、自己決定感を高める

④「なぜ食べられないのか」を、妄想の内容ではなく恐怖や身体感覚から理解する

⑤夫や子どもとの関係等で、本人がすでに持っている安心のリソースを見つける

⑥食事介助そのものを、安心できる対人関係を経験する場にする

⑦本人が選べる食品へ、少しずつ食事の幅を広げる

⑧「食べられた」という体験を積み重ね、自発的な摂食につなげる

という流れになります。


 このようにすれば、抗精神病薬の効果が十分に現れるのを待つ間にも、拒食に対して働きかけることができます。

 精神症状が消えてから食べてもらうのではなく、薬物療法によって症状の強度を下げていくのと同時に、精神療法によって「ここなら食べてもよい」「自分で選んでもよい」という安全な体験を並行してつくっていくのです。

 急性期の精神療法とは、必ずしも患者さんに過去を深く語ってもらうことではありません。ときには、ベッドサイドで「今日は何なら食べられそうですか」と尋ね、本人が選んだものを一緒に食べることそのものが、重要な精神療法になります。