佐々木正美の教えから



 ある自閉スペクトラム症の方のお母さんが、「迷惑をかけられたとしても、あなたのことが好きだよ」と思って接するようにしたら、関係が改善したと仰っていたのが記憶に残っています。

 程度にもよりますが、自閉スペクトラム症の感覚過敏があると、ちょっとした情報で混乱してしまいます。幼少期からそういったことが続くと、お母さんも余裕がなくなり、つい「泣いてないで早くしなさい」という態度が滲み出てきます。すると、ほんの少しでも滲み出た、その「早くしなさい」を敏感に感じ取って、余計に些細なことで混乱するようになります。

 自閉スペクトラム症の感覚過敏って、このように環境の影響でさらに悪くなるんです。でも、この現象は、お母さんが悪いわけじゃあないですよね。お母さんが、めちゃくちゃ努力して努力して追い込まれた結果なんです。協力してくれないお父さんも多いし、核家族だし。
 

 サニーデイサービスというロックバンドの曽我部恵一さんが、故・遠藤賢司さんに「いくつになってもエンケンさんみたいに歌い続けるにはどうすればいいんですか?」と聞いたら。「それはね、ソカベ君。ずっと、君のこと好きだよって気持ちで歌えばいいんだよ、それだけでいいんだよ」と答えてくれたそうです。

 同じことだと思うんです。言葉にすると簡単なことのようだけど、人生経験と、積み重なった努力と、あきらめ、さとり、様々なことを乗り越えていかないとたどり着けない。神田橋條治先生が、どんな分野でも名人がたどり着く境地は似ているというような趣旨のことを書かれていますが、そういうことではないでしょうか。

 佐々木正美先生は、ハリー・スタック・サリヴァンを引用して、「心の病は、必ず対人関係の問題をともなっているから、その再調整をしなければならない」という意味のことを書かれています。さらにエリク・エリクソンの言葉として、「お母さんが赤ちゃんといっしょにいることを幸福に思えば、赤ちゃんはお母さんといることが幸福になる」と続けています。

 これはまさに冒頭のお母さんの言葉「迷惑をかけられたとしても、あなたのことが好きだよ」と思って接するのと同じですよね。佐々木先生は、「お父さんお母さんが小さなことにも感謝できれば 子どもにも感謝の心が育ちます」とも書かれていますが、これは仏教の教えにも通ずるものがあります。

 自閉スペクトラム症の症状は、両親や先生のかかわり方しだいで変化します。それも、必ずしも熱意をもって頑張ればいいわけではなく、その時その時の状況に応じた適切なかかわり方があります。だから赤ちゃんや幼児の子育ても、自閉スペクトラム症や神経発達症すべてに対する適切な療育も、重なる部分が多いのです。神経発達症の子どもがすこやかに育つ療育をあらゆる子どもにあてはめたら、そりゃ悪いわけがないですよね。





 以下の文章は、先のサリヴァン、エリクソンの引用元でもある「佐々木正美先生といっしょ お母さんの安心子育て」(ぱるす出版)に準拠していますが、17年前の本なので時代に合わせた書き方に変更したり、私自身の解釈や様々な引用も交えて書いています。ですので当然、最終的な文責は私にあります。
 


「乳児期の赤ちゃんの要求は 全部かなえてあげましょう 信頼の感情が育ちます」

 赤ちゃんの運動発達には順番があります。中枢から末梢へ、おすわり、はいはい、つかまり立ち、歩行、細かな手の動きといった風に。
同じように、心理発達にも順番があって、乳児期の発達課題を解決していなければ、幼児期を健全に迎えられません。
 それぞれの発達段階で課題を解決できず、問題を引きずりながら成長すると、体は発達していても心は成熟していないということになります。「体は大人、心は子ども」。この状態をピーターパン症候群というそうですが、スティーヴン・スピルバーグの映画『E.T.』はそのピーターパンをモチーフにしているという説があります(実際に映画の中で母親が小さい娘にピーターパンを読むシーンがあります)。

 さて、乳児期に、まず第一に身に着けるべき課題は、周囲の人を信じること、すなわちえりく・エリク・エリクソンのいう「基本的信頼」です。両親をはじめとする周囲の人を信じることを通して、世界を信頼する。自分はこの世界に生きていていいんだという感覚。

 この感覚が健康に培われるためには、赤ちゃんの要求は100 %かなえてあげる気持ちで接することが大切です。実際に100%は無理ですし、赤ちゃんが望んでいることがわからないこともあります。けれどもかなえてあげる気持ちで接すること自体が大切なのです。赤ちゃんのいうことをなんでも聞いていると、なかなか親の手から離れなくなるのではないかと思うかもしれませんが、逆です。思うように十分依存できたほうが相手を信じる気持ちが強くなり、自立した大人に成長していくことができます。

 また、乳児期が一番要求をかなえてあげることがたやすい時期です。赤ちゃんは自分では何一つできません。おなかがすいたら食べさせてやり、おむつが濡れたら替えてやり、寂しい、怖いと泣いたら抱っこしてあやしてやる。赤ちゃんの呼び声(鳴き声)に適切に対応してあげることで、赤ちゃんは周囲の人を、ひいては自分自身を信じることができるようになります。
 
 赤ちゃんから見れば、両親をはじめとする大人は神さまのようなものです。自分の孤独や不安を受け入れてくれる神さま。いざというとき助けてくれる神さまの存在を信じることができれば、安心できる居場所を心の中に作れたら。例えば、成長の過程で、悪い友達に誘われたとき、その誘いを断ることができます。それはお父さん、お母さんが作ってくれた魂の安全基地があるからです。安全基地がない人は帰るところがないから、不誠実な恋人でも離れることができないかもしれません。幼い頃に虐待された人が大人になってからも虐待に遭いやすい理由の一つです。

 『E.T.』の話に戻れば、スピルバーグの両親が離婚し、父がいなくなった寂しさの埋め合わせとして生み出した空想上の友達、それが宇宙人E.T.の元となったそうです。
  映画の主人公である少年エリオットも父親がいません。母親は不安定になり、家庭は混乱しています。そこに現れたE.T.は、エリオットの親友に、かけがえのない存在となっていきます。
 E.T.は母星に帰るときエリオットの額を指さして「ずっと、ここ(心の中)にいるよ」と告げます。E.T.とのかかわりを通して、エリオットは父母から十分得られなかった基本的信頼を獲得します。自分と対等にずっと遊んでくれて、ともに喜び、悲しみ、悩んでくれる存在に出会い、その存在を心の中にとりこむことができたとき、世界を信じることができたのです。

 でも、ひるがえって、現代社会において、いったいどれだけの数の大人が、そういった心のありようを身につけているでしょうか。私も自信はありません。ところで、河合隼雄は「子どもたちは禅の老師と同じだ」と、よく書いていました。子どもたちの訴えは大人の成長を促すための禅問答だと。子どもたちは私たち大人を成長させてくれるのです(スピルバーグ少年が空想した宇宙人E.T.が、いったいどれだけの数の少年少女と、かつて少年少女だった大人たちを感動させたかを考えてみてください)。

 そういった子どもの空想、想像の力をはぐくむために、幼少期に両親に本を読んでもらう。一緒に映画を観るといった体験は重要です。子どもはしばしば怖い話、悲しい話をお父さんお母さんに何度も読んでもらいたがります。一人で読むにはつらい話であっても、大人の庇護の元なら受け入れられるのかもしれません。そうやって、人は、やがてくる大きな悲しみや別れ、世の中の理不尽なことに耐える力を身につけていくのです。


 映画についてもう一つだけ。2024年公開の『映画 それいけ!アンパンマン ばいきんまんとえほんのルルン』において、絵本の国の森を枯らしてしまうモンスターすいとるゾウに、森の妖精ルルンが立ち向かうのですが、最初、ルルンはすぐ弱音を吐いて何もできません。

 しかしモンスターを倒すために、ありあわせの材料で新しいバイキンメカを作って立ち向かおうとするバイキンマンの背中を見るうちに、努力することを学びます。バイキンマンを助けに絵本の国に来たアンパンマンは、ルルンに「(たとえ僕たちみんながいなくなってしまっても)大切な友達はいつも心の中にいるよ」と告げます。子どもの妖精だったルルンは周囲の大人の愛情を受けて、空を飛べる成人の妖精に成長。モンスターに立ち向かえるようになります。

 物語の終盤、バイキンマンのメカは破壊されてしまい、アンパンマンの仲間たち全員(ジャムおじさんやバタ子さんまで!)無力なゾウに変えられてしまう場面があります。アンパンマン史上最大のピンチに、映画館中の子どもたちが動揺、大慌てでよたよた歩きまわる子も。でも、そういった怖い場面をお父さん、お母さんの助けを借りて見守る体験が大切なのです。ルルンは子どもたちで、バイキンマンやアンパンマンは大人です(この映画はバイキンマンの視点でみれば、大人が自分の弱さを克服しようとする物語でもあります)。



「抱きぐせは心配ありません むしろ正常です 目一杯だいてあげましょう」

 赤ちゃんからのサインを見逃さず、要求にできるだけ応えてあげることが、将来、人を信頼し人間関係を構築する基礎となります。生後1~2か月の、まだ周囲をほとんど認識していない赤ちゃんでも、お母さんが微笑むと微笑み返します。生後3~4か月になると、お母さん、お父さんにそばにいてほしい、何かしてほしいという意思表示をはじめます。そばにいて話しかけてほしい。とんとんしてほしい。高い高いしてほしい。だっこをして外に連れてってほしい。この積み重ねが、将来の人間関係を築くための基礎になります。


「過保護は問題ありません 過干渉は子どもの主体性を損ねます 躾のしすぎは過干渉です」

 ここでいう過保護とは子どもが望んでいることを100%することです。子どもは自分が望むことを思い通りしてもらうと、ある時期には満ち足りて自立していきます。
 対して、ここでいう過干渉とは、子どもの望んでいることではなく、やらねばならないことを強制しすぎることです。
 それをしすぎると、子どもは親の評価に敏感になり、大人の顔色ばかりうかがい、怒られないように、ほめられることばかりするようになります。自分のやりたいことをしない子供には、真の自主性、主体性は育ちません。自分を見失ってしまうことになりかねない。強制された習い事ばかりで、したい遊びができず、アイデンティティが確立しない、自分で判断できないまま育っていくと、登校拒否、摂食障害、家庭内暴力といった自分探しにまつわる問題が起きるかもしれません。そういった子どもの親は「小さい頃は良い子だった。反抗もしなかった」といいますが、それはその子が大人に合わせてくれていたからです。

 とはいえ、しつけのために、やってはいけませんと叱る必要はあります。しかし、子どもの将来を思って叱る、許す気持ちのあるしかり方と、大人が困るから二度とするな!というしかり方とでは、子どもの受け止め方が全然違います。「乱暴したらお友達と仲良くできないよ」とおだやかに叱るのと、大人が寝たいから「うるさい!静かにしろ」と怒鳴るのとでは全く意味合いが異なります。

 子育てにおいては、世間体や人様にどう思われるかといった親の立場からみた都合ではなく、子どもが心からやってほしいと思っていることをかなえてあげましょう。それは高価なものをポンと買い与えることではありません。ゲームを買い与えて一人で遊ばせるだけではコミュニケーション能力や生きる力は育ちません。三輪車を買い与えて、乗り方の練習に付き合わずに放っておけば、最悪、道路に飛び出してトラックに轢かれてしまうかもしれません。

 大切なことは親が付き添って子どもと一緒に楽しむことです。子どもとの双方向のコミュニケーションを一緒に楽しむことです。一緒に絵本を楽しむ。昆虫や植物の図鑑で気になるものを探す。地球儀や地図帳、グーグルマップがあれば雨の日のおうちで世界一周ができます。そうしたことを経て、はじめてお友達と一緒に遊んだり、自立して社会に出ていく準備ができていくのです。


「子どものわがままは セルフコントロールの練習です」

 乳児期が終わり、1歳以降、歩き始めの子どもたちは、自分の欲求や希望が満たされないとすぐ泣いたり癇癪を起したりします。この時期の子どもは「少し我慢して待てば願いが聞き入れられる」といった未来の感覚がまだ育っていません。今、ここでかなえられなければいけません。そして、この未来の感覚は、未来を信じることができなければ、希望がなければ、はぐくまれません。十分にわがままが受容され、今日を楽しく過ごせてはじめて、未来を信じる気持ちが出てきます。しだいに自分の欲求をコントロールできるようになっていきます。

 浦沢直樹の『MONSTER』という作品で、第2次大戦中、子どもの意思や主体性を抑えつけ、他者への共感性や想像力を奪い、優秀な軍人を作る実験場となった保育園「511キンダーハイム」という恐ろしいものが出てきます。そのプログラムで絶望した子どもに対して、主人公は「一緒に連れていく」ことを約束し、「明日はきっといい日」になることを教えます。また、『巌窟王』の名でも知られる復讐譚『モンテ・クリスト伯』のラストの有名な台詞、若者たちに贈る言葉は「待て、そして希望せよ」です。
 『ハイジ』や『赤毛のアン』を例に出すまでもなく、優れた物語には、子どもだけでなく大人の心の成長に必要な知恵が含まれています。だから買い与えるだけでなくて、大人が一緒に読む必要があるのです。

 不快な感情をコントロールするために、子どもは両親にわがままをぶつけます。泣いたり、怒ったり、暴言を吐いたりするかもしれません。
 欲求はできる限りかなえてあげるべきですが、際限なくおもちゃを欲しがったり、夜中に公園で遊びたいというのはかなえてあげることはできません。
 代わりにわがままで泣き叫ぶのを親が受け入れてくれることが必要です。十分、受容されたと感じたとき、子どもの泣き叫びは止まります。
 「涙を拭いて」と要求したら、拭いてあげることで欲求がとりあえず満たされます。その繰り返しで、子どもはセルフコントロールの感覚を身につけていきます。


「子どもと喜びあう体験をたくさんしましょう 感情が豊かに育ちます」

 他者と共感する能力の基礎は、幼いころの両親との関係の中で育ちます。子どもたちと絵本を読む。公園でブランコを押してあげるといった共同作業をすることで子どもたちの喜びは何倍にもなります。「みんなで食べるとおいしいね」と子どもたちは言います。子どもが楽しい時、自分も楽しいと思ってください。
 そうやって喜びを分かち合う、分かり合う経験をすれば、少し大きくなったら、友達とも楽しく遊べるようになります。


「幼児期は親を困らせたり手こずらせたりする子が自然。子どもの反抗は親への信頼です」

 親に反抗してぶつかる中で、他者との関係を学んでいきます。反抗を無視したり、否定したり、抑えつけたりして自尊心を傷つけるのではなく、受け止めてあげてください。そうしたなかで、自分のことを自分で判断できる主体性が身に付き、友達とのかかわりをへて、社会に出ていく準備ができます。
 また、幼児期に親に十分反抗をした子はいじめをしません。対等以上の相手にくってかかることはあるかもしれません。そういった子は弱いものいじめはつまらないと思うものです。



「子どもはあそびが勉強です 社会を広げていくための練習です」「お母さんお父さんだけでなく 友だちから学び 教えられる経験を持たせてあげましょう」「子どもどうしで遊ぶ時間 過ごす時間を たくさんつくってあげましょう」

 子どもは遊びの中で、ルールを守って我慢して、友達と一緒に楽しむことを学びます。鬼ごっこだって立派な社会勉強なのです。ただし、塾やスイミングスクールや少年野球などの習い事は、大人がルールを決めて子どもは従うだけなので真の意味での社会性が育ちません。遊びの本質は、自分たちでルールを決めて、自分の意思でそれに従うことです。


「いたずら好きの子どもは小さな科学者です 独創性や創造性が育ちます」「取り返しのきく失敗はさせてあげましょう 自分自身の判断力が育ちます」「子どもがつまらないことに 熱中していても それは成長に必要なことです」

これらはすべて上記の補足説明です。子どもの遊びは大人から見てつまらないことに思えるかもしれませんが、子どもたちだけで何かをやり遂げる、発見する体験を通して、はじめて主体的な判断ができるようになり、想像性が育ちます。取り返しのつかない危険なことでなければ、子どもを信じてやらせてあげましょう。



「うまくできないことをやろうとしたときは できるように手助けしましょう」「家のお手伝いをさせましょう うまくできなくても うれしい気持ちを伝えましょう」

 さらに補足です。一人ではできないことをやろうとしている時、本人の主体性を損なわないように手助けしてあげましょう。親に助けられてしたことでも達成感と自信につながります。それは自尊心とセルコントロールする力をはぐくみます。



「手のかかる子は良い子です お母さんにわかって欲しいサインを出しているのです」

 手がかからない子は、親を信頼できず、自分に自信がなくなっているのかもしれません。両親は、どこかの時期で子どもに手をかけなければいけません。早期であればあるほどいいです。大人になってからでは、情緒が歪み社会適応ができなくなっており、要求も成人のものですから、望みをかなえるのは大変です。



「子どもは親のいうことをあまりききません 親のやることをまねします」「こうしなさい」「ああしなさい」「これはいけません」といいすぎないようにしましょう「子どもの話はゆっくり聞いてあげましょう そういう環境づくりが大切なのです」

 親の言うことより行動を子どもは見ています。ですから、口うるさく注意するより、お父さんお母さんがしっかりとした価値観、信念を持って生活していれば、その背中をみて子どもは成長します(ふだん憎まれ口を叩いていても、ルルンたちを助けるために黙々とメカを作るバイキンマンの背中にルルンは感化されます)。

 
だいたい、我々が必要以上に口うるさくなってしまうのは、自身が孤独や不安に捉われている時です。子どもは言っている内容より我々の心理状態に敏感に反応します。
 ですから私たち一人一人が、しっかりした考えと、心の余裕を持って過ごす必要があります。そのためには周囲の人々(例えば祖父母や学校の先生)との関係が良好であることが望ましいです。そして子どもたちの話をゆっくり聞いて受け入れるためには、私たち自身も周囲の人々に受け入れられる体験をしていることが必要です。



「ウソをつくのは自分が傷つきたくないからです 自主性が育った証(あかし)です」

 子どもがウソをついていると気づいたときは、頭ごなしに注意したり否定したりしないで、自尊心がついてきたとみてあげましょう。ただし、子どもが頻繁にウソをつくようになったら、子どもの自尊心や自己肯定感が育っていないのかもしれません。そういう子を問い詰めることは、さらに自尊心を低めます。ウソをつかざるをえないような状況のほうを今一度検証してみましょう。

 子どもが何か悪いことをしたときに、「なぜそんなことをしたんだ」と問い詰めるのではなく、我々も同じ過ちをする人間だというスタンスで話をしましょう。「お父さんだってそうしたいことがある。ズルしたい、休みたい時がある。だけど我慢しているんだ」というように。

 子どもだけでなく大人も死ぬまで心理発達の途上にあります。私たちすべて、過ちを繰り返す人間であるという立場で子どもたちと接しましょう。