甲本ヒロトとカジヒデキ
2025年8月8日
名古屋は今池の得三という呑み屋で、甲本ヒロトを観ました。クロマニヨンズではなく、盟友、三宅伸治のバンドがバックで。客は150人ほどの親密な空間。
「演奏をこうやってフェード・アウトさせていってね。あれ?この人たち、演奏してない? ひょっとして録音?」と冗談めかした流れで、「ベイ・シティ・ローラーズも演奏してないしね」と付け加えたのが印象に残っています。
普通に考えて、往年のアイドル・バンドを馬鹿にした発言。けれどハイロウズ時代にヒロトは、セックス・ピストルズ武道館の前座で、ラモーンズがヒントにした、ベイ・シティ・ローラーズの曲を演っています。ご丁寧に格好まで真似して。批評性とユーモア。
最近注目されている作家で、私が一番パンクだと思うのは市川沙央。自身の先天性ミオパチーを題材にした作品で芥川賞を獲ったけれど、難病による制約が無ければ、彼女はさらにたくさんの素晴らしい物語を描くはず。
ブルーハーツ「少年の詩」のように、市川沙央は喉元にナイフを突きつける。苦しみも苛立ちも欲望も隠さない。自身を道化のように評する客観性さえある。あなたはちゃんと生きていますか。大切なものを曲げてへらへら生きていませんか。時にシュールだったり、理解しがたかったとしても、本当の感情が背景にあれば、読み手に塊が伝わる。
「得三」のアンコールは、真島昌利も飛び入りでギターを弾き、ヒロトはハーモニカ、三宅伸治が歌い、チャック・ベリーの「ベートーベンをぶっ飛ばせ」でした。
2025年9月1日
鶴舞公園、大学病院近くのハポンへ、カジヒデキ with堀江博久を観に。
堀江博久さんが最初に鍵盤で三曲演奏しましたが、どこかバート・バカラックみたいで凄くよかったです。「後一曲やってカジ君が出ます。もう半分くらい出てる」と言う中、ふと入口の方見たら、客の影に隠れてFILE-UNDERの店長と、会場をまっすぐ見据えてるカジ君が居て・・・
新譜からの曲、定番となっている「甘い恋人」のコール・アンド・レスポンスをへて、カジ君本人も、「これで終わりでもいいよね?」と言ったくらい「メイド・イン・スウェーデン」の堀江さんとのかけあい(後半のギターと鍵盤)が凄まじかった。
カジ君の口から、ロリポップソニックとのツアーや、「ポストカードレーベルに敬意を表して、スコットランドのキルトスカートを履いてる」とか聴くのがたまらない。新EPでオマージュしたというFriends Againのアルバム聴いてみて、その後、パステルズやオレンジジュースのアルバム引っ張り出しています。
「Naked Coffee Affotato」で手振りを要求する時に、「昔はビートパンクとは客層が違ったし、同じ振りをするような客層じゃなかった。いや、ビートパンク一派(おそらくBOØWY、ブルーハーツとか)と対立してたわけじゃないですよ。でも、いつからか気づいたんです。みんなで合わせる方が楽しいって(笑)。そこに一番最初に気づいたのが小沢(健二)君だった」と言っていて。
2000年代に出てきたミュージシャンでは、例えば、スネオヘアー、アートスクール等が、私は好きなのですが、彼らのルーツに重要な感じでカジヒデキが居るんじゃないかってことに後で気づいて。サニーデイサービスの曽我部さん、コーネリアスの小山田さん辺りと並んで、後続に影響を与えているミュージシャンなんだなと。
ビートパンク云々ではないけど、カジヒデキと甲本ヒロト双方ともに、「カリスマ性があるようでない。ないようである」、「そこにいるだけでなんだかすごい」というような意味で、パンク云々を越えて普遍的なポップ・ミュージックそのものなのかもしれない、と感じています。
以下は、少女に説明するための走り書き。
Being / pure / at heart(ビーイング・ピュア・アット・ハート)とは
由来
カジヒデキさんのアルバム名で、おそらくザ・ペインズ・オブ・ビーイング・ピュア・アット・ハートという、ニューヨーク、ブルックリンのロックバンドから引用されています。
ちなみにこのバンド名自体も、友人が描いた絵本のタイトルから借用したそうです。彼らはパンク、ノイズ・ポップが好きで、例えばラモーンズ(スリーコード、早回しで3分以内でビートルズやビーチボーイズのような曲を演奏するというパンクのスタイルを「発明」したバンド)や、ティーンエイジファンクラブ(カジさんが好きなアノラックと言われるイギリスの音楽ジャンルを代表するバンドの一つ)が好きで結成したそうです。
文法
まず、She is pure (彼女はピュアである)が基本文です。
「is」はbe動詞の一つで、~が存在していることを表します。「ing」がついてbeingになると、動名詞といって「存在すること、~であること」になります。Pureは純粋であるという意味の形容詞です。なのでBeing pureは「ピュアであること」という名詞になります。
Atは場所を表す前置詞で、その前にある名詞を説明する言葉を連れてきます。At heartは「ハートにおいて」です。
つまりBeing pure at heartとは「ハートがピュア」→「心が純粋であり続けること」→「初心を忘れない」、「ときめきを忘れない」、「初期衝動を持ち続ける」というように言いかえることができます。ロックンロールの原点のような言葉です。ちなみにカジさん本人はアルバムの副題として、「ありのままでいいんじゃない」と訳しています。
カジさんのアルバムに戻れば、個々の曲名も、おそらく全て引用元があります。カジさん周辺のミュージシャンを指す音楽ジャンル、渋谷系、ネオアコースティック(海外のポストパンク、ニューウェイヴ、インディーポップが近いでしょうか)では、インスパイアされた影響元を示すことを大切にしています。マナーとさえ言ってもいいかもしれません。
私の分かる範囲でも、「ガール・ライク・ユー」はオレンジ・ジュースというポスト・パンク・バンドの中心人物エドウィン・コリンズの大ヒット曲から。オアシスのリアム・ギャラガーは「もしオアシスがビートルズなら、あんたは(ビートルズが尊敬した)エルヴィス・プレスリーだ」と語ったとか。「ドリームズ・ネヴァー・エンド」はニュー・オーダーというニュー・ウェイヴ・バンドの曲で、自殺したボーカリストについて歌っています。
渋谷系ミュージシャンが、自身がインスパイアされた影響元を示すことを大切にしているのは、おそらく、その歌のメッセージを、わかる人にはわかるように、さらに強く、願いを増幅させて、伝わりやすくするためではないかと思います。
自殺した友人についての思い。そこなわれた命、過ぎ去った夏の思い出。セミの命のように、美しいものははかないから、いっそう今を大切にしたい。そういった失われたものへの思いから、こみあげてくる情熱を歌っているから、カジ君の歌は明るくて、跳ねて、楽しいのに、せつなくて胸にじわじわ染み入ります。
最後に、おそらくカジ君も大好きな(というかバンド時代、91年にエドウィン、ソロでの来日公演の前座をしていました)オレンジ・ジュースというバンドの代表曲を貼ります。
オレンジジュースのエドウィンは脳の病気で、リハビリをして後遺症が残ったにもかかわらず、その後も来日してくれました。病気を乗り越えて、不自由な体で果敢にステージを移動して歌う、彼の様子、ありかた、姿勢そのものが、渋谷系、ネオ・アコースティックという音楽で最も大切な部分ではないかと思います。表面的なメロディーとかリズムとか歌詞とか、そういったものを越えた何かです。
例えば、友達が飼っていた猫が亡くなって、「つらい」と悲しんでいるとします。そういうときには、「悲しいね、つらいね」という言葉をただ発するより、友達と「いっしょにそばにいる」姿勢が大切になります。その友達の悲しみを受け止める姿勢です。
カジ君のいう、「ありのままでいいんじゃない」は、例えば、友達が、悲しいと泣いていたら、そのありのままの姿を受け止めるということかもしれません。・・・・・こじつけてますね。