青木省三の講演、著作を参考に

死にたいにどう対応するか

 「自殺念慮」に対して、死なない約束を交わす必要はある。しかし治療者との接点を常に「生きる・死ぬる」にしてはいけない。「死にたい」という訴えに、治療者が過剰に反応する(受け止めきれない)ことが、「死にたい」を強化してしまうことがある。

 苦しい訴えを受け止めたうえで、「死んでしまったらいけない」と簡潔に流すことも一つの方法。死ぬ話題から、他の話題に移すよう努める。死にたい気持ちの奥にある生への願望をうまく捉えることができれば、話が広がっていく(死にたい気持ちを相手に返さない)。

 季節の話題、花や天気のこと、TV番組や好きな音楽、ペットの話題から、お風呂で気持ちいい、朝ごはんが美味しかった等の身体感覚まで、具体的なエピソードを通して、その人の生活の細部を知りながら、しだいに、生活の困難、苦しみ、将来の夢や希望に焦点を当てていく(雑談療法)。


 「解離」(記憶喪失、多重人格、パニック、自傷、目が見えない、耳が聞こえない)に対しても、慌てて対応しない。治療者が反応すると症状が悪化したり、人格が増えてしまうこともある。その人の苦しみを受け止めた上で、解離に直接は関わらない。「解離には解離で」対応すると早く落ち着くこともある。健康な側面に光を当てる。


 「自傷」は「心の苦痛を軽減する」ために行い、二次的に「人の注目を集める(アピール)」が目的となっていくことがある。周囲の人が避けるとアピールに移行しやすくなる。一方で、自傷に対して感情的に「ダメ!」「やめなさい」と反応すると、過去のトラウマを再体験させるかもしれない。傷の手当てを冷静におこない、心の苦痛をもたらしている現実の困りごとを話題にしていく。


 トラウマを忘れるための解離から自傷、自殺念慮へと症状が進展していくことは多い。そういった症状や、その背景にあるトラウマそのものは、治療者が想像するにとどめ、実生活の困りごとの話や、逆にできていること、プラスの側面を話していく。


トラウマに気づく。

 生死に関わる程ではなくPTSDと診断できなくても、トラウマ反応は生じる。発達症など受け手の感受性の強さとかけ合わさり、発達症とトラウマが影響し合っているケースは多い。診断できなくても理解を。傷から血が流れていることに気づく。

 人の表情を常にうかがい、些細な変化に敏感であったり、他の患者の大声や怒鳴り声に過度におびえたり、他者の体の動きに、過度に身構えるといった「過覚醒」。

 元気なく引きこもっている、意欲がない(「回避」)過去のできごとだけでなく最近のことも思い出せない「解離性健忘」。つらいことを繰り返し思い出し、悪夢を見るので眠れない(「再体験」、フラッシュバック)。


 症例1) 男性の叫び声が怖くて作業所で適応できなかった20代女性。ずっと言えなかった過去の性被害を治療者と共有できてから叫び声が苦にならなくなった。それまでは叫び声がきっかけでフラッシュバックが起きていた。うつ病、不安症や統合失調症にみえるものが、実はトラウマ反応であることも。


    解離そのものを扱うのではなく、解離を起こさざるを得なかった苦しみ(トラウマ)を労る。解離を起こしながらでも生きながらえてきた人生の苦闘をたたえる。解離が今までその人を守ってきたのかもしれない


症例2) 別人格が我が子を殺すかもしれない、という20代女性。

    別人格を熱心に取り合わないが、逆らいもしない。生活史をみると「母が私を捨てたから、私も我が子を育てることができない」という気持ちが伝わってくる。

 「これまで波乱万丈の人生、よく生き抜いてきましたね」という意味で「お子さんは可愛いよね。これまで育ててきた」といった語りかけを続ける。

 彼女が耐えてきた孤独や苦しみ、我が子を育ててきた苦労をたたえる。トラウマには触れず、健康な側面に注目する。症状はその人の生きざま。



治療や支援でトラウマを作らない。

    どのような対応がこういったトラウマを活性化させないか考える。入院治療において不必要な行動制限をしない。対応が熱心すぎてもいけない。熱心な対応が(例えば親との)トラウマを想起させることもある。

    1対1ではなく複数でネットワークを作って支える。あっさりと程よい距離で、しかしあたたかい対応で安心感を提供する。


接点の少ない、間接的な関係(ながら療法 何かを介して関係をつくる)

    診察室では何か話さなければいけないという緊張で言葉が出ない。作業療法のように身体を動かして何かをしていると。緊張が少しほぐれて言葉が出てきやすい。

    物作りをしながら、作り方を教えたり、たずねたりが自然にできる。「どうしたらいい?」「こういうふうにやったらどう?」ふと気づくと、物作り以外の話題に移行しているかもしれない。物を作る方法が、その人の現実の困りごとの解決法と重なっていくかもしれない。比喩のようにはたらく。

    「不器用だからダメだな」「とてもきれいにできていますよ。その調子。ここのところはこんな風にしてみたらどうかなあ」「あ、そんなやり方があるんですね(気づき)」「よかった、うまくいきました」「すごいなあ、できましたね」

    作業療法の縫物で、困っていることに気づき共感しながら、少し視点を切り替える。無理のない助言。それによって縫物を一歩進める。その行動で内面の変化も同時に起こっている。


    例として、ライヴハウス、ジャズ喫茶は、少し話すと音楽が流れるから会話を続けなくてもよい。みんなのそばでゴザを引いて一人花見(エアみんなと一緒)。休日のフットサルのキーパーだけ引き受けて、終わったらすぐ解散してもよい。アマチュア無線でゆるくつながる等、一人じゃないけど、ずっと人と関わらなくてもいい。

    怖くても人を求めているから、ゆるい関りを。同世代の集団である学校では症状が頻発しても、様々な人がいて助け合う非均一な集団(職場、定時制高校)ではうまくいくこともある。生活を支援する。集団のルールに過剰適応してしまい、我慢し続けて自殺企図を起こすケースもある。ほどほどにふるまうことを学ぶ(100%ではなく50%)


    やわらかい支援で、「過去の傷つき体験から、人に敏感で不信感、警戒心を抱きやすい人。孤立しやすい」といった状態から、「人づきあいは得意ではないが、人への信頼感を持っている人」へと移行させていく。

    護られている感覚があり、友達づきあいをその人なりに楽しむことができる。好きなこと、興味を大切に、自信や肯定感をもてるように。

    トラウマや発達症を持つ人は、実際にはこの二つの状態を行き来している場合が多い。再孤立化を防ぎ、人への信頼を何度でも取り戻す。


青木省三の講演、著作を参考に、私の解釈、アレンジも加えて構成しています。したがって青木先生の考えそのものではなく私の感想です。