映画ドラえもん 新・のび太の海底鬼岩城
メモ書きなので、後で校正します。
ドラえもんの映画、海底鬼岩城のリメイクを観てきました。
リメイク版は特に、ドラえもんたちを乗せて走る、AI搭載の水中バギーが主役だと感じました。そして爆弾で世界を滅ぼそうとする古代機械ポセイドンとの対比が興味深かったです。
どちらも親に適切に愛されなかった自閉症児のように描かれているのです。コンピュータってそもそも頑固で融通が利かなくて自閉的でしょうし。
新たな設定として、ドラえもんが中古で買う前に、バギーは元の持ち主に虐待されていた描写が加えられています。バギーの記憶で「黙っていろ」とか「新しいのに替えよう」と言われています。
コンピュータは、当然、自閉スペクトラム的です。理屈に従い、人間の生の感情がわからない。どんなことでもメモリーから呼び出して鮮明に思い出せるし、あらゆる可能性をシミュレーションできるけど。
だから、スネ夫とジャイアンの横暴な命令に従えば、彼らが死んでしまうことも分かったけど、忠告せずに彼らの命令に従った。「言われたから従っただけです」と。
一方でラスボスであるポセイドンのAIには「女性の概念が足りない」という設定が追加されています。
バギーもポセイドンも、お母さんに愛されて大切にされる経験がないのです。ほとんどの自閉スペクトラム圏の子どもの問題は、うまく母親と関われないことで増幅され、成長につれて悪化していきます。
しかし、ポセイドンと違ったのは、バギーちゃんはしずかちゃんに大切にされたことです。
「水中だから磨かなくても汚れは落ちるのに」とバギーが止めたけど、しずかちゃんはバギーを拭いてあげます。
「持ち主では無くともだちだからよ」と言って、
バギーにおまじないのスターマークを描きます。いつまでも安全に走れるように。
「これでどこまでも走れます!」と
バギーは喜びます。以前なら、「ボディに模様があっても性能は変わりません」と言ったはずなのに!
このように、のび太やしずかちゃんとの関わりからバギーは新しい概念を知り出します。
「心臓とこころ、正しいと正解が違う。人間の心はバグみたいですね」と、時に、自分が損をしても誰かを助けようとする人間の不可解な行動をコンピュータのバグとして認識しだす。
これまで、ポセイドンを刺激して、爆弾を発射されないように放っておいた結果として、海底火山の爆発によってポセイドンの爆弾が誤作動してしまう。
そのため、ムー大陸の海底人とドラえもんたちはポセイドンを停止させようとアトランティスに向かいます。
本来なら危険を避ける自己防衛プログラムが働くのに、それに逆らってまで、バギーがとった行動について、このリメイクでは、新しい解釈がほどこされています。
80年代の映画では、人格障害的に描かれていたバギーが、2025年版では、幼い頃に親に虐待された自閉スペクトラムの少年のように描き直されました。
母親の愛を知らないポセイドンが世界を滅ぼそうとするのに対して、しずかちゃんに大切にされたバギーのAIは人間のように、理屈に合わない感情が芽生え、そして世界を救うのです。
そういえば、今もロングラン上映しているズートピア2では、種族が異なるからこそ分かりあいたい。愛し合うからこそ、違いを認め合う。価値観を認め合う。
一方で、間違った父親であっても、自分の存在を認めてもらいたい。違ってしまいたくない。間違った価値観でも目をつぶるといった主人公たちと悪役の対比が印象的でした。
最近、「イージーライダー」も観たのですが、後半のサイケデリックなシーンで、誰の独白か分かりませんが、「冷酷な母 あなたが憎い」というセリフが不意に挿入されるのにドキッとしました。ロジャー・マッギンがカバーしたヴァージョンで、ボブ・ディランのt's Alright, Ma (I'm Only Bleeding))が流れます。