TOIN BASE Mとあれこれ話その4 2026年3月6日(金) キャパーズ/ aro/黒谷ギューン
むっちゃ濃いの観た! とも言えるし、まっとうに心に来るブルースやフォークを聴いたとも言えるし、なんか、いろいろ考えさせられた。そんな3組の夜。
1番手は、三重県で活動するギターとベースの男女デュオ、キャパーズ。T字路sと同じ役割分担。
二人で出す音がこんなに厚くてゴリゴリするんだ。最近マーシーのアルバム集めて聴いていたので、気分に完全にマッチした。
チャック・ベリーのギターリフやモータウンリズムなんかは誰が始めたとかではなく、みんなが好きなもの。だから多用されるし使い古されるし、でも楽しいのは変わりない。ややこしくなるとノレないから。
2番手、大阪は河内のリトルマーメイド、黒谷ギューン。ステージにパンダを伴うから、彼女もデュオかもしれない。
「ele-king」、「JAPANTIMES」等のライター、イアン・F・マーティンに共感するなら、彼女のことも好きなんじゃないかな、と思いました。名古屋だと鈴木実貴子さんと雰囲気近しいかも。
川本真琴を彷彿とさせるような乙女ロックや、大森靖子もかくやというような限界突破ロックに、極めつけは、彼女が創ったクサ語による歌唱から、20年以上前、syrup16gの五十嵐隆が「翌日」を感極まってデタラメな宇宙語で歌唱したライブを思い出しました。正しい日本語の歌詞で歌われるより、むしろ心に刺さる。
この世界から逃げたい。でも、誰かに会いたい、みたいなジレンマ。
「(私の音楽は)良い未来のためにやってる。これしかできないことをやっている」とか、「(世界の)悪いところを見たらきりがない」、「行きたくないけど行ったら楽しいかもしれない」とか、「ドアをぶち破ってでも助けたい。けれど本当に辛い時は家から出ることさえできないんですよね・・・」とか、「(あなたが苦しんでいたとして、わたしには無理だったとしても)誰かはなんとかしてくれる(かもしれないから)」とか。
一つ一つについて考えてしまう。黒谷ギューンのパフォーマンスには、誰の胸の内にもある、幼い少女をそっと抱きしめるような、激しさと静けさが共存していました。
余談ですが、ブルーハーツのファースト・アルバムの曲って捉え方で全く印象が変わると思う。
ハイスタンダードにつながっていくエモコア・アンセムと考えるか、GOING STEADY/銀杏BOYZや、betcover!!、kanekoayanoに繋がるような、引きこもり/孤独を全編で歌っている曲と考えるかで。
どっちが正しいとかではなく、人によって価値観が異なるという話。
私にとっては「リンダ リンダ」も、betcover!!ヤナセさんの祈りも、黒谷ギューンの絶叫も、同じ流れにあります。
そういった意味で、3番手、山梨のaroさんも同じく究極の表現をされているシンガー・ソングライター、現代の吟遊詩人。富士山、高原の風をそのまま聴くものに感じさせるようなパフォーマンス。
今回の選挙について、「(急すぎて)不在者投票も行けませんでした。お祭りごとのような選挙でしたね」「今回の旅で、広島の原爆祈念館も初めて行きました」とだけ語るあたり、素晴らしいと思った。
そして作った新曲として歌った歌詞が、「怖いもの、ひとのあさましさ、むごさ、核兵器はなくらなぬ」。続いて、「怖いもの、誰かが作った国境線、私の目には見えません」。
その厳かさは、二階堂和美か、美空ひばりか。それくらいの表現力と存在感。シンプルな何のギミックもないフォーク・ソングだからこそ逆に深く染み込む。
もう一つの新曲、体が動かなくなる難病の方のことを想って作ったという曲が、とても軽快で民族音楽的なダンス・チューンで、歌詞とリズムで、私たちの身体の部位一つ一つが動くこと、生きていることを讃えていて。
黒谷ギューンさんにマインドフルネスのことを聞いたら、実践しているとのことでしたが、aroさんの、この新曲もそうで。彼女が歌った「どんな形でも愛してあげる」というのは、ブッダの教えで。マインドフルネスは西洋の精神医学で鍵概念の一つになってきていますが、要するにブッダの教えなんです。それがわからない。難しい。でも、楽しい。
あ、来月、aroさんは同所でワンマン・ライブあります。
