TOIN BASE Mとあれこれ話その8 黒谷ギューン/ハグ林 / 世憂子
今朝、NHKFMをつけていたら、ピーターバラカンが、ニーナ・シモンの歌の説明で、「人種差別に抗議するよりも、黒人であることを喜ぶ歌」というような話をしていて、うまいなあと思いました。
ユニコーンの奥田民生のような声質で、峯田和伸のようなエモーションがこもる。
どろどろと清濁入り混じってうまく言えない感情をそのままアウトプットしているように感じる。
ボブディランの「くよくよするなよ」を弄っていてできたという「悪いことをしているみたいだ」の切実な響きとか、友人への呼びかけの形で内面を赤裸々につづるような「ノヒラくんっ!」はサニーディ・サービス「青春狂騒曲」を連想した。
会場を見渡して「レコードが飾ってある空間」にほれぼれしていたり、ひとたびステージが終わると、集団の中で居心地が悪いのか、やたら外に出ていく様子とか含めて、正統なフォーク、ブルースの末裔だと思いました。
友部正人とかジョニー大蔵大臣(水中、それは苦しい)等と共演歴があったりもして。彼の演奏で思い出すのはブルーハーツの1stに入っている「パンク・ロック」とか、もちろんサニーデイサービスや銀杏BOYZだったり、くるりの青臭いパンクロックだったりする。
突き抜けていく声と、メリハリが気持ちいい連打するギターカッティングの妙といい。
今の時代で、アイドル文化を通過したうえでのLINDBERGみたいな。渡瀬マキは三重出身だし。
彼女の歌を聴いて一貫して感じたのは、「死に向かう衝動とは、同時に心から生きようと思うこと」でした。彼女は自身の創作スタイルとして「歌詞から先に書く」ということで、やはり第一にメッセージ性が重要みたい。演奏前は、どことなく所在無げにたたずんでいたのが、ステージでの笑顔がまるで別人のようで、これはファンがつくわと思いました。来年4月に四日市でホールワンマンを予定しているそうです。
関西ゼロ世代の末裔といううか、クリトリックリスの曲をカバーした神聖かまってちゃんというか、なんとも形容できない、オンリーワンの存在、それが河内のリトルマーメイドことギューンさん。
新しいアルバムの名前は「ザコ」。太陽の意味だそう。彼女は自分の好きなものに名前を付ける。こんな素晴らしい自然、こんな美しい太陽になぜ私が名前を付けられない? 自分の好きなものだけでいい。好きなものは増えなくていい。限りあっていい。情報処理が追い付かない。J-POPは和田アキ子くらいで止まってる。知らなくていい。そんなようなことを絶叫していた。ちょっとトモフスキー(ex.カステラ)と言うこと似てる。
地球が一番好き。自然は何も言わない。うちらを否定しない。馬鹿にせえへん。悪い奴なんていない。誰も否定したくない。今日も電車乗り間違えるし。マスターに迷惑かけるし。空見たらどうでもよくなった。
彼女にとっての自然は、坂本慎太郎(ex.ゆらゆら帝国)が歌う「ディスコって」と同じなのかもしれない。ディスコ(音楽)は君を差別しない。ディスコは君を侮辱しない。ディスコは君を区別しない。ディスコは君を拒絶しない。
彼女は、ついには観客と野山の鳥を区別しない。鳥の鳴きまねのコールアンドレスポンスが出現したここは黒ミサの会場か。17日のワンシーンもご覧ください。