小砂川チト「ゾンビ回収婦」 

芥川賞候補となった3作品の通奏低音として

社会から疎外された女性が、人間以外の存在(マネキン、類人猿、VRゲームのゾンビ)とのかかわりを通して自身をみつめなおす。

その過程で現実と妄想の世界の境界があいまいになっていく。



「ゾンビ回収婦」では、より直接的にカウンセリングの過程を描いているように読める。だから9割がた読むのがつらい。最後の種明かしにカタスシスはあるが。

 「奇っ怪な星座(付置、コンステレーション)」として雇い主と以前の掃除婦、わたしの3者関係を表したり、ゾンビの腕とわたしを幼児と母親の「二項関係」のように「わたしのために腕はそこにあり、わたしは腕から全存在を歓迎されている」と描写。


 父親に甘えられず過剰適応して「いい子」として育った女性が、ASD的な男性と結婚するが、夫はVRゲームにはまって生活。ある日、AIに職を奪われ、夫婦同時に解雇される。夫は失踪し、主人公は、残されたヘッドセットを使い、10年近くVRゲーム『プラグを抜かれた丘』の世界に没入する。


 デビュー作で、鉱夫のマネキンに失われた父親のイメージを重ねたように、今回はアラスカという名のゾンビに、失踪した夫のイメージを重ねる。

 あなたを強烈にあなたたらしめているのはきっと、その過剰に奥ゆかしいふるまいと、哀愁を帯びたまなざしだった。

 直截にいえば、あなたはいつなんどきでも浮いていた。人格的に死してなお、――それでさえ群れに上手に属することのできないひとがあるのだという事実は、わたしをみょうに引きつけてもいた。

 でも、いやだからこそ、わたしはあなたへの憤りをもうこれ以上、抑えることができない。


 自身を大型犬に例え、うっすら家族に迷惑がられ、過剰適応する。育てやすい子とすら評される。だけど弟(ないし妹)は違った。ただ本音でふるまうだけで愛された。

 それはいつでもきまって、わたしにむけられた笑いではなかった。そのまなざしはつねにわたし以外の存在にきっぱりとむけられている。(中略)なぜ、いつもそれはわたしにむけられたまなざしではないのか?


無数に生まれ、死んでも輪廻転生するゾンビは、クライアントが抱える反復強迫するトラウマで、トラウマを治療しようとする行為がゾンビ回収。果てしなく繰り返される。

ゲームの舞台が「口唇期ホテル」と命名されているのは、主人公が、他者に十分に甘えて基本的信頼を形成することができていないことを示唆している?

クマのぬいぐるみの治療者にわたしが話す内容は


 わたしは元来、器用な人間ではないので。子供の頃からずっと、肉体のあちこちを世界に打ちつけたり、擦りむいたり、捻ったりばかりしていて、生傷が絶えなくて。だから、生活していくというのは基本的にもう、痛いもんだと。

「ハハー、それはおちゅらかったですね……(中略)おむねの芯から思います」クマは眉毛を下げてくちを尖らせ、落涙をこらえるような顔で言った。(中略)

……ずうずうしいでしょうか。

「いいえ。当然の感情ではないでしょうか。(中略)クマはそこで一度言葉を切って、みじかい両腕をおなかの前でそっと交差させてから続けた。「だってあなたはそのとき、ご自分を守るために必死、だったのですよね?」

わたしは目をおおきくみひらき、さっき熊のつくったのと同じ顔になって落涙をこらえねばならなかった。(中略)ほとんどはじめて、「理解された」という気がした。


 ところで、この治療者は、VRゲーム『プラグを抜かれた丘』の制作者が赤ん坊のころから一緒に眠ってきたクマのぬいぐるみそのものだった。製作者とクマはお互いの位置を入れ替えながら十万時間も対話を続けたという。

「あなたがた(注 ゲーム内のキャラ)がかれの苦しみを再演することで、つまりあなたがたの口から語りなおされることで、病んで膿んだかれ自身の傷を一度、ひらきます。清潔なこの部屋で安全に傷をひらき、かれ自身が発した過去の言葉とあなたがたの言葉、その交合によってふたたび傷口を縫合する。そのようにしてかれは治療しているのです、かれとあなたとこの世界を、すべて、同時に」


だから、わたしとクマの治療セッションは破局を迎える。

罰せられたい。認められたい。褒められたい。とにかくもうこれ以上軽んじられたくない。殺してやる。邪悪なところもぜんぶみんな、すべて受け容れてほしい。けっして与えて貰えない。傷つき。強い依存心。褒めて。こわいよ。抱っこして。

(全て部分的な抜き出し)

この小説は、表面的には、引きこもりや過酷な労働といった社会問題を扱っているようで、そうではない。本質的にどこまでいっても重い、重い、カウンセリング、サイコセラピー、対象関係の問題。


わたしが、わたしもクマも同じくらいに未熟な――患者どうしなのでは、と口にしたとき、クマは私を引きとめようとする。

「あの。もしよろしければ」

「うん」

「痛み止めのお薬、出しときましょうか?」

「いいえ平気です。やさしくしてくれてありがとう。さよなら」

クマは縫合戦のところからやわらかく綿を放り出して、いままででいちばんあいくるしい、ぬいぐるみらしい顔になって微笑んだ。


その後にわたしは考える。あるいは先生のその傷に呼応するようにして、わたしはようやくわたし自身のことを語り得たのかもしれなかった。また、VRゲーム『プラグを抜かれた丘』の世界は、どんな人間のたましいも傷つけることがなかった。とも。


そして、ある日、遂に夫の表象であるアラスカが死ぬ。

呼吸のうちの吸うのと吐くのと、たったいまどちらをやっていたか分からなくなって、二回吸ったり三回連続で吐いたり何度も失敗して、どんどん息苦しくなり、頭は朦朧としていった。(中略)フラッシュバックに襲われるようにもなっていった。光や音や煙や階段、日射しの加減といったあらゆるものを手当たり次第トリガーにして、アラスカの最期を頭の中で再演してしまうのだった。


そして、アラスカに似たゾンビを見つけて、人は代替可能なのか、不可能なのか考え始める。思えば、自分は祖父母にも間違えられた。


「かわいい、かわいい」と異様なほどの剣幕でそのあたらしい孫の容姿を褒め称えたのだった。祖父母はなんだか、じぶんたちのほんとうの孫をようやく見つけて深く安堵しているようにも見えて、じいちゃん、それわたしじゃないよ、わたしはこっちだよとついぞ、ついぞ言い出すことはできなかった。


それも、アラスカもわたしも代替不可能なのだ。

わたし、ずいぶん昔からひどく喉が渇いていた(中略)いったんそれに気づいてしまうと、とたん、舌、声帯、粘膜という粘膜、すべてがミイラみたいに一瞬で干からび縮みあがり気道を塞ぎ、死んでしまう、死んでしまう!