コジマハルカ / ゆう / かわらかの / 椋子 TOIN BASE Mとあれこれ話その15
最近観た三重県Toin Base Mでのライブ(2026年10月5日と12日)について書きます。
松本耕平さんやしばたやん子さんは安定して凄かったし、久々に観た、真田 柊太(さなだ とうた)さんが、「あなたのことを決めつけたくないし、わかろうとしたい。仲良くなって下さい」という意味のことを話していて、これは彼の代表曲「分からない者同士」の前振りですが、普遍的な音楽の主題とも言えないでしょうか。
10月12日の一番手、四日市出身のコジマハルカさん。
時に畳みかけるように、時にやさしく手を添えるように言葉を紡ぐ、女性フォーク・シンガーというとカネコアヤノを連想するかもしれないけど、私は彼女のステージから、サニーデイ・サービスやエレファントカシマシが持っているような路地の感覚を思い出しました。
住み慣れた街の日常、出会い、別れ、喪失。
ミニアルバム一曲目「桜の日」は祖父の死を歌った曲だそうです。いつも2階で暮らしていて、降りてきて一緒に食べる夕食の風景がイメージできてしまう。
主に鈴鹿や伊勢で活動されていたけど、今年から名古屋から四日市エリアでもライブしてくれています。大阪でのライブ全編がこちらに。また、バンドbedtown名義での音源も。
補足
彼女のミニアルバム収録の「天国街(てんごくまち)」は、地元三重県の彼女の生活圏についての歌のようですが、WildPitchというバンドのボーカル/ギター長谷川健太さんが伊勢BARRETで定期開催していた弾き語りイベント、グレープフルーツ・ムーンについても織り込まれているそうです。
10月5日に初めて観た、愛知のゆうさん。教会の讃美歌のような荘厳さから、フォークロック、ジャズのような響きまで巧みに歌い上げる。
ジェフ・バックリィとか初期のレディオヘッドを思い出したけど、本人に聴くと子どもの頃かな?クイーンがまず好きだったそうです。そういえばトム・ヨークはクイーンのブライアン・メイになりたいと子どもの頃言ってたという逸話を思い出します。どちらにせよ、どこか日本人離れした感性の音楽と存在感です。
彼女や、コジマハルカさんや、彼女をコジハルと愛称で呼ぶ椋子さんも、好きな演者のことを本当に嬉しそうに観ていました。特にゆうさんは心底盛り上がっていたような。他者への共感性って大事。単純に他のミュージシャン目当てのお客さんも嬉しいし。
かわらかのさんは、今回特に情熱的で。加えて、静と動の対比が見事でした。
「あのよ」という曲は、自分が死んで冥界に行ったらというような歌詞ですが、最後にギターの音を少しずつ、本当に少しずつ減らしてミュートしていくのが、命が、こと切れていく様を表現しているようで、息を飲みました。
だから 「クジラのパレード」の「クジラは死んで、あなたを飲み込んで灰になる、」いう歌詞も、より一層現実味を持って迫ってきます。
「星屑レイニー」は、個人的に、syrup16gの代表曲「翌日」をどこか思い出す。当時の五十嵐隆はステージで感極まると左足が上がってきたのですが、彼女も上がることがあって。その日の星屑はテンポが普段より速くて、素直にカッコよかった。
初めて聴いた新曲「わずらい」は、彼女の曲の中では、特にシンプルな弾き語り。ギミックのない。でもそれが凄く良い。syrup16gで例えると「My Song」のような至高の曲。
他者への想いを突き詰める内に、自身の内面に深く潜っていくような。この曲の終盤の歌詞で、自分が醜くなる前に終わりにしたいというようなことを歌われたとき、次の曲は「ばけもの」だなと思いました。
彼女は、ハイトーンなアニメ声のような発声から、ハスキーでドスの効いたような低音まで幅広く、一人の歌い手とは思えないバラエティに富んだ歌唱を聴かせます。歌詞の内容と相まって、非常に解離的な印象を抱かせる。
「落ち込みやすいからこそ、人の痛みも感じ取れるし、痛みは出会ってくれた人に笑いかけるためにある」というようなことを語って最後の曲を演奏されたのが印象的でした。
10月12日3番手の椋子(りょうこ)さんのステージも初めてちゃんと観ました。子ども食堂での優しい短時間の演奏をちらりと観ただけだったので。
槇原敬之がSMAPに提供した「世界に一つだけの花」を連想するような前向きな歌詞に比して、激しく連続で突き刺さるようなギタープレイの乖離に驚きます。それが面白い。
歌い方から受ける印象と、動作としての演奏から受ける印象に齟齬がある場合、だいたい、私は演奏から受ける印象が第一義だと取ります。
共演者の話をしながら「声は似ていても、一人として同じ人はいない」というような意味のことを話す。SMAPのあの曲と同じ主題だなあと。
椋子さんとは関係ないけれど、90年代、槇原敬之のことを、私はとても社会適応した優等生のミュージシャンだと勘違いしていました。
彼の苦悩、自分が他の人間とは異質で、決して幸せになれない人間だというような思いは、馬鹿だから、全くわかりませんでした。でも「SPY」を聴いたとき、おや?と思いました。愛するからこそ傷つけてしまうことを歌っていて。後になって思えば、「どんなときも」の「好きなことを好きと言える気持ち抱きしめたい」というような歌詞は、抑圧された境遇に居る子どもが、自己肯定感が低く、嫌なことを嫌とすら言えなくなることの裏返しだったのかもしれない。今はそう思います。
それがフォーク、打ち込みと歌、ラップ、どんな形式にせよ、一人一人違うし、けれど、本質的には同じような、人間関係、社会のおける大切な何かを伝えようとしています。
コジマハルカさんの演奏から、私はサニーデイサービス曽我部恵一の、フォーク、ブルース、ソウルからヒップホップまで取り込んだ表現を思い出しましたが、ヒップホップのように言葉を詰め込んだサニーデイサービスの「青春狂走曲」は、Bob Dylanの「Like a Rolling Stone」へのオマージュでしょう。How does it feelをそっちはどうだい?と訳していたことが最近になって分かった。
音楽は本来、歌詞だけでなく、演奏全体に感情やメッセージを宿しています。それは、口承で伝えられてきた伝説にも通じるものです。
レイ・ブラッドベリ『華氏451度』 では、聖書やシェイクスピアをはじめ、あらゆる重要な書物が燃やされ、人々をダメににするような情報ばかりに囲まれたディストピアが描かれています。『素晴らしい新世界』や『1984年』の流れを汲みながら、ブラッドベリは、書物への愛という形で、そのエッセンスを凝縮しています。
書物を燃やす仕事をしていた主人公は、ふとしたことから疑問を抱き、本当に大切な知恵を後世に残すため、レジスタンスに身を投じます。しかし、本には大切なことが書かれているのだと、いくら訴えたところで、インターネットやVRメディアが生み出す圧倒的な情報の洪水には太刀打ちできません。
だからこそ、人々が「今の世界は何かおかしい。どこかに本当の知恵があるはずだ」と気づくまで、待たなければならない。その日が来るまで、記憶した知識を口伝えで伝えていく。ひょっとしたら、そこに至るまでには果てしない年月が必要なのかもしれません。
しかし、知識をただ暗記するだけでは、長い年月を越えて人から人へと伝えていくことは難しいでしょう。リズムやイントネーション、メロディ、そして身体に刻まれる感覚があってこそ、言葉は記憶にとどまり、次の誰かへと受け渡されていく。知識は頭の中に保存されるだけでなく、声や身体を通して生き続けるのです。
だからこそ、音楽やダンスが必要なのです。言葉は嘘をつくけれど、真田柊太さんが言ったように、本物の音楽は嘘をつかないから。
Toin Base Mは、名古屋から近鉄/JRで急行/快速で約20分の三重県の桑名へ。隣接する三岐鉄道北勢線「西桑名」駅から「穴太(あのう)」下車。南へ徒歩8分。音が良い空間。スパゲティとかピザとかも食べられます。
2024年7月に桑名から隣町の東員町に移転。原田真二、ファンキー末吉(爆風スランプ)、ギターパンダ(DEEP & BITES、忌野清志郎 & 2・3'S等)、ワタナベマモル(グレイトリッチーズ)といったロック・レジェンドなど、素晴らしいミュージシャンが日々出演しています。