おぼっちゃまくんと自己肯定感、意思決定力、共感力

 神経発達症(自閉スペクトラム症やADHD)の二次障害は、自己肯定感が損なわれることによって生じてくる。


慶應義塾大学医学部の小児科教授だった高橋孝雄は、自己肯定感、意思決定力、共感力が、子どもが幸せになるために大切だと説きます。


高橋先生の本『小児科医のぼくが伝えたい最高の子育て』の第三章を読んでいて、私は小林よしのりの漫画「おぼっちゃまくん」におけるお父ちゃまとおぼっちゃまくんの関係を思い出さずにはいられませんでした。


「おぼっちゃまくん」の主人公、小学四年生の男の子、御坊茶魔は、世界一の大財閥「御坊コンツェルン」の御曹司で、帝王学を叩き込む英才教育の名の下にとてつもなく守られています。その一方で幼い頃に母を失くすという欠落をあらかじめ抱えたまま成長していきます。


だから、このギャグ漫画は、普通ではない感性と生い立ちの少年が、世界と向かい合う際に生じる軋轢を笑いに変えていると言えるかも知れません。


小林よしのりは、金持ちのボンボンに対する妬み、僻みを、戯画化したおぼっちゃまを描くことで解消しようとして思いついた、という趣旨の話をしています。


高橋は、自己肯定感を損なわないためには「他人と比べない。こまめに褒める」ことと書いています。


実際、茶魔のお父ちゃまは、茶魔のテストの成績が悪いと一見烈火のように怒り、勉強するよう叱りますが、茶魔が弱音を見せるとすぐに撤回するどころか、茶魔のできる些細なことさえ、取り上げて爆褒めしてしまいます。

だから茶魔は、今は勉強ができなくても、彼なりに取り組んで、いつも自信満々です。


しかし、そんなお父ちゃまでも、茶魔に関して、一つだけ譲れないことがあります。それは先述のように、茶魔は世界一の大財閥を率いるリーダーにならなければならない運命だということです。


ある日、茶魔は、親友の柿野くんがお母さんと仲良く話しているのを見てうらやましくなります。


一般庶民の子である、柿野くんは「将来はサラリーマンになって、お母さんのような綺麗なお嫁さんをもらうかな」と母をおだてます。


茶魔にはお母さんがいないから、そのやり取りが強烈にうらやましくて、帰宅してすぐお父ちゃまに言います。


「ぽっくん、大人になったらサラリーマンになるとぶぁい。そしてお母ちゃまのようなお嫁さんを  」

思いっきり被せるように、お父ちゃまは「馬鹿モーン、お前は御坊コンツェルンの総帥となるんだ。何がサラリーマンだ」と大激怒。


高橋先生は、食べるもの、服など、些細なことから自分で選ばせ、幼い頃から自己決定の力を養うことが大切だと言います。


茶魔がサラリーマン云々と言っているのは意思決定力以前に、亡き母への思慕の念の表れに過ぎません。だから、そうかそうかと聞き流せばいいのです。けれど、たまたま、その内容が、お父ちゃまにとって息子の教育で譲れない一点だったのが不幸です。


茶魔は泣いて家出してしまいます。


時間がたって。

一人、夜の公園、ブランコに座る茶魔。

それを見守る爺やとお父ちゃま。


茶魔の前に、突然和服の女性が現れ、お母様よと告げます。


茶魔はびっくりします。お父ちゃまは、亡き妻に化けるために和服とかつらを着て、トレードマークの髭を剃り落としてしまったのです。


高橋は、子どもが他者への共感力を身につけるためには、まず大人が見本を示さなければいけないと言います。公園で転んですりむいたら「痛いね」と手当てしてあげるとか。


「お父ちゃまが、立派なお髭を剃ってしまっている!」茶魔は驚愕です。


お母様に会いたいという茶魔の願いを思い、お父ちゃまは自身の誇りである顎鬚を捨ててしまった。顎鬚より息子のほうが自身の誇りだからでしょう。とにかくお父ちゃまは常に茶魔と真剣に向かい合ってくれていることを痛感させられます。


おとうちゃまの覚悟に対して、茶魔はあえて騙されたふりをします。

「お母ちゃま。ぼっくん大人になったら」

「サラリーマンでしょう?いいよおなり」

「おとうちゃまのように、御坊コンツェルンの総帥になる」と茶魔は宣言します。


子どもが自分は望まれて生きているんだという自己肯定感。自分のしたいことは自分で決めるという意思決定力。そして他者を思いやる共感力。それらの礎になるのは、やはり、保護者が全力で子どもと向かい合う姿です。片親でも、両方ともいなくて、祖父母や兄や姉が育てていてもいいのです。